六角堂と美術館 [観察]
11月最後の日曜日。珍しく旦那がちょっと六角堂の再建現場でも見に行ってみようかと言い出したので
そんなに遠くはないけれどはじめて罹災証明を使って高速道路でぴゅ~んと行ってきました!
北茨城市五浦にある六角堂は明治の日本美術院の主催者であり、
思想家である岡倉天心の住居敷地(茨城大学五浦美術文化研究所)の一角で
太平洋に張り出した岩盤の上に天心自身の設計により建てられ
「観瀾亭」と名づけられた赤い六角形の建物です。
六角堂・天心邸・長屋門は、「国土の歴史的景観に寄与する」登録文化財として認定されていましたが、
2011(平成23)年3月11日の東日本大震災がもたらした大津波により、
六角堂は基部以外すべて流出してしまい、天心邸も床下まで浸水し、少なからぬ損傷を被りました。
そこで茨城大学五浦美術文化研究所が六角堂再建に向け動き出し、
海中に沈んだ六角堂の捜索・調査が開始されました。
その調査に基づき、海中より六角堂を出来るだけ多く回収して、再建を図りたいとの事です。
六角堂再建の基本方針としては
1・流出以前の形態ではなく、明治38年の創設当時の形態の復元的再建をめざす。
2・年内もしくは年度内の再建を目標とする。
と言う事でいよいよ本格的に動き出した再建プロジェクト!
わたしも知らなかったのですが、わたしが見てきた六角堂は昭和に入り立て直されたものだったらしく
この再建計画により上記1・の明治38年当時の形状に戻されるそうです。
なのでその姿を見たことがないわたし達にとっては完成がとっても待ち遠しく楽しみでなりません。
こちらは流出前の下から見た六角堂
そしてこちらが今日わたしが撮ってきた現在の姿
ここは岡倉天心が愛した場所だけあって景色がとっても綺麗です。
遠くにいわき渚公園の展望台が見えました!
ここが六角堂への入り口です。
すぐ近くには岡倉天心の墓地があります。
ここは黄門の井戸です。
それからすぐ隣にある「茨城県天心記念五浦美術館」に行ってきました。
久し振りに来る美術館何かやってればいいなぁーと思い行ってみたら
やってました!
この美術館もやはり津波や震災の影響でなかなか再開する事が出来ませんでしたが
ようやく11月1日から再開することが出来その最初の作品に選ばれたのが
=没後70年木村武山の芸術=展です。
「木村武山」とは
木村武山は茨城県笠間市に生まれ、東京美術学校に学。
卒業後は日本絵画協会に参加、日本美術院の創立にも副員として参加した。
美術院の五浦移転の際には、岡倉天心、横山大観、菱田春草、下村観山らとともに移住し、
天心の没後に再興された美術院にも経営者同人として参加するなど、終生美術院を活動の場とした。
岡倉天心の教えに従い歴史上の事実や人物の性格や感情などを描く日本画家「木村武山」。
武山の絵は繊細でとても美しくでも感情をあらわに大胆にも描かれていて、
ふっと立ち止まるとその世界に引き込まれしまいそうなそんな絵でした。
美術館の中には岡倉天心記念室もあります。
ご紹介が遅れましたが「岡倉天心」とはこんな凄い人物なんですよ!
岡倉天心(1863-1913)は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、
日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として
近代日本美術の発展に大きな功績を残しました。その活動には、日本画改革運動や古美術品の保存、
東京美術学校の創立、ボストン美術館中国・日本美術部長就任など、目を見張るものがあります。
また、天心は自筆の英文著作『The Book of Tea(茶の本)』などを通して、
東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介するなど、国際的な視野に立って活動しました。
また、天心は晩年、思索と静養の場として太平洋に臨む人里離れた茨城県五浦(現在の北茨城市五浦)
に居を構える一方、横山大観ら五浦の作家達を指導し新しい日本画の創造をめざしました。
以後、天心は亡くなるまでこの五浦を本拠地として生活。
記念館の中には天心の作品はもちろん、遺言状や、『The Book of Tea(茶の本)』の原紙
そして天心が唯一書き上げたと言うオペラ『The White Fox』(白狐)の草稿などもありました。
わたしは正直日本画より洋画の方が好きなんですが
震災でなかなか来れなかった美術館にようやく来れた上に地元出身の画家の素晴らしい作品が見てれ
久し振りに目の肥やしに。。。と言ったら失礼かな
でもとっても心穏やかになるそんな1日になれました。
また行きたいなぁ~~~今度は洋画がいいなぁ~
そんなに遠くはないけれどはじめて罹災証明を使って高速道路でぴゅ~んと行ってきました!
北茨城市五浦にある六角堂は明治の日本美術院の主催者であり、
思想家である岡倉天心の住居敷地(茨城大学五浦美術文化研究所)の一角で
太平洋に張り出した岩盤の上に天心自身の設計により建てられ
「観瀾亭」と名づけられた赤い六角形の建物です。
六角堂・天心邸・長屋門は、「国土の歴史的景観に寄与する」登録文化財として認定されていましたが、
2011(平成23)年3月11日の東日本大震災がもたらした大津波により、
六角堂は基部以外すべて流出してしまい、天心邸も床下まで浸水し、少なからぬ損傷を被りました。
そこで茨城大学五浦美術文化研究所が六角堂再建に向け動き出し、
海中に沈んだ六角堂の捜索・調査が開始されました。
その調査に基づき、海中より六角堂を出来るだけ多く回収して、再建を図りたいとの事です。
六角堂再建の基本方針としては
1・流出以前の形態ではなく、明治38年の創設当時の形態の復元的再建をめざす。
2・年内もしくは年度内の再建を目標とする。
と言う事でいよいよ本格的に動き出した再建プロジェクト!
わたしも知らなかったのですが、わたしが見てきた六角堂は昭和に入り立て直されたものだったらしく
この再建計画により上記1・の明治38年当時の形状に戻されるそうです。
なのでその姿を見たことがないわたし達にとっては完成がとっても待ち遠しく楽しみでなりません。
こちらは流出前の下から見た六角堂
そしてこちらが今日わたしが撮ってきた現在の姿
ここは岡倉天心が愛した場所だけあって景色がとっても綺麗です。
遠くにいわき渚公園の展望台が見えました!
ここが六角堂への入り口です。
すぐ近くには岡倉天心の墓地があります。
ここは黄門の井戸です。
それからすぐ隣にある「茨城県天心記念五浦美術館」に行ってきました。
久し振りに来る美術館何かやってればいいなぁーと思い行ってみたら
やってました!
この美術館もやはり津波や震災の影響でなかなか再開する事が出来ませんでしたが
ようやく11月1日から再開することが出来その最初の作品に選ばれたのが
=没後70年木村武山の芸術=展です。
「木村武山」とは
木村武山は茨城県笠間市に生まれ、東京美術学校に学。
卒業後は日本絵画協会に参加、日本美術院の創立にも副員として参加した。
美術院の五浦移転の際には、岡倉天心、横山大観、菱田春草、下村観山らとともに移住し、
天心の没後に再興された美術院にも経営者同人として参加するなど、終生美術院を活動の場とした。
岡倉天心の教えに従い歴史上の事実や人物の性格や感情などを描く日本画家「木村武山」。
武山の絵は繊細でとても美しくでも感情をあらわに大胆にも描かれていて、
ふっと立ち止まるとその世界に引き込まれしまいそうなそんな絵でした。
美術館の中には岡倉天心記念室もあります。
ご紹介が遅れましたが「岡倉天心」とはこんな凄い人物なんですよ!
岡倉天心(1863-1913)は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、
日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として
近代日本美術の発展に大きな功績を残しました。その活動には、日本画改革運動や古美術品の保存、
東京美術学校の創立、ボストン美術館中国・日本美術部長就任など、目を見張るものがあります。
また、天心は自筆の英文著作『The Book of Tea(茶の本)』などを通して、
東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介するなど、国際的な視野に立って活動しました。
また、天心は晩年、思索と静養の場として太平洋に臨む人里離れた茨城県五浦(現在の北茨城市五浦)
に居を構える一方、横山大観ら五浦の作家達を指導し新しい日本画の創造をめざしました。
以後、天心は亡くなるまでこの五浦を本拠地として生活。
記念館の中には天心の作品はもちろん、遺言状や、『The Book of Tea(茶の本)』の原紙
そして天心が唯一書き上げたと言うオペラ『The White Fox』(白狐)の草稿などもありました。
わたしは正直日本画より洋画の方が好きなんですが
震災でなかなか来れなかった美術館にようやく来れた上に地元出身の画家の素晴らしい作品が見てれ
久し振りに目の肥やしに。。。と言ったら失礼かな
でもとっても心穏やかになるそんな1日になれました。
また行きたいなぁ~~~今度は洋画がいいなぁ~
岡倉天心って人知らなかったです。
六角形の建物って洒落てますね。
早く再建されると良いですね!
by せいじ (2011-11-28 06:59)
六角堂、土台だけしか残って無かったんですね・・。
悲しい姿ですが、再建されるんですね♪
良かったです[__わーい]
私も西洋画の方が好きです!
美術館、また行きたいけど、
忙しい12月が・・[__たらーっ]
by TAMA (2011-11-28 09:26)
せいじさん[__黒ハート]
岡倉天心よりもどちらかと言うと全国的には横山大観
の方が有名だと思います!
六角堂は国の重要文化財になっているだけあって
本当にステキな建物でした。でも本来の建物になるみたい
なのでとっても楽しみです[__かわいい]
by にゃんこ (2011-11-29 00:56)
TAMAさん[__黒ハート]
この姿を最初見たときとてもショックでした。
国の重要文化財がまるごと流されてしまって、
茨城こんなものしかないのにーなにもなくなっちゃったぁ[__ふらふら]
ってすごくガッカリしたんです。
でも再建されることがわかり、しかも当初の建物になるなんて
なんてステキな話なのーって思ってしまいました!
でもかなりの資金もかかるみたいで、、、
とりあえず楽しみに待ちたいと思います[__るんるん]
by にゃんこ (2011-11-29 01:01)
北海道って歴史が浅い分古い建物や歴史上の人物とか・・・クラーク博士くらいしか思い浮かばないんですよね。自分の住んでいるところって以外に知らないことが多いのかもしれませんね~。
六角堂、あんなに根こそぎ持って行かれてしまったんですね。津波の凄さを改めて感じます。
屋根のテッペンには”たまねぎ”が!!
まるでミニ武道館みたいでかわいいのですが、
今度はどんな風に再建されるんでしょうね~。
他の地域も含めて、一歩一歩再建、復興の向けて進んで行ってほしいものですね。
by よしりん (2011-11-29 03:49)
少なからず、というわけではないですね。。
by mutsugo (2011-11-29 22:26)
よしりんさん[__黒ハート]
黒板五郎とか北野広大とか・・・?
確かにそうでうよね!わたしも他は?って言われると。。。
石井達也くらいしか思い出せません。
あっちなみに石井さんの実家はここのすぐそばなんですよ!
わたしも津波来た時はまさかここまで酷いと思ってなかったので
ちょっとこの映像を見たときはショックでした。
とても綺麗な建物だったんですよ。んっ!そういわれれば
ミニ武道館ですね!気が付きませんでした[__わーい]
この流出する前の六角堂しかわたしも知らないので
とっても楽しみなんです[__るんるん]
by にゃんこ (2011-11-30 01:52)
mutsugoさん[__黒ハート]
そうですね。何もかもが意外に大変でしたね。
でも徐々に復興して行ってますし、お金は膨大みたいですが
再建も決まりました。ちょっと先が明るくなってきた気がします[__かわいい]
by にゃんこ (2011-11-30 01:55)
本当に あの震災の恐ろしさを物語っていますね。。。
こんな趣のある景色もすっぽりなくなってしまうんだから
岡倉天心が愛したところも風情があっていいですね[__ぴかぴか]
なかなか日本画を観る機会はないですが あるある
鑑定団が好きでよく観ています やっぱり本物って
繊細さと力強さと 他にはないエネルギーというか
引き込まれるものがありますよね[__ぴかぴか]
by みぐみぐ (2011-12-03 17:18)
みぐみぐさん[__黒ハート]
わたしも美術品見るのが好きなので(そんなに詳しくないですが)
鑑定団みてますよ(たまに)わたしも西洋画の方が好きなので
日本画を見るのはとても貴重な体験です。
日本画は洋画と違ってとても繊細なタッチで描かれて
いるので見ていて吸い込まれそうになります。
この六角堂がある場所は本当に心落ち着く場所です。[__ぴかぴか]
早く再建して昔の姿を取りも出してもらいたいののです[__揺れるハート]
by にゃんこ (2011-12-03 20:21)